郷愁の色
鏑木清方
夏になるとどういうものか遠(yuǎn)い過(guò)去になった昔の東京生活が、現(xiàn)にこうして生きている世界よりずっと近く思われ、覗き眼鏡の寫(xiě)真のように見(jiàn)えてくる。
年寄は昨今のことよりも、自分の若い時(shí)分見(jiàn)たりきいたりしたことのほうが、よく憶えているものだからかと思うが、同じ昔のことでも夏の外の季節(jié)になるとレンズには多少の翳がある。
ひととせ明治の市井生活を長(zhǎng)巻にかいた時(shí)でも、主題に撰んだのは夏の一日であったが、その後、秋も冬も別に手がけることもなくて過(guò)ぎた。
四季折々、私は一體季節(jié)を伴なう生活にいつも強(qiáng)く畫(huà)興をそそられる質(zhì)ではあるが、それがとりわけ夏の場(chǎng)合が多い。ゆかた、行水、つりしのぶ、蟲(chóng)売、縁日、夏芝居、夏と共にあるほどの季題風(fēng)物は、袂のものを探るように心やすくとり出せる。あさまの家のあけはなしに見(jiàn)通される庶民の暮らしが、いつよりも夏にその節(jié)を得て精采奕々たるものあるが故であろうか。
歌舞伎座の吉右衛(wèi)門の縮屋新助が出るときいては、暑い時(shí)もう芝居はまっぴらといいながらつい見(jiàn)たくなってくる。夏芝居らしい夏芝居のその思い出に誘われるからに他ならない。
どこの家でも夏が來(lái)れば間仕切を外し、家具調(diào)度見(jiàn)る目清らかに、わが家ながら見(jiàn)違えるような夏座敷になる、まして芝居は売物に花を飾る夏げしき、舞臺(tái)でも見(jiàn)る方でも気軽なうすものを著て、役者が団扇を使っていれば、見(jiàn)物も同じように団扇をつかう。
新わらの美代吉が煽ぐうちわの風(fēng)は涼しくお客の袖にも通う。舞臺(tái)と客との間仕切も夏芝居には外されている。
東京へはチョイチョイ出るけれども、いつにも夜の銀座界隈をあるいたことがない、ただ乗物で素通りをするだけながら、星月夜の鎌倉(cāng)から來(lái)て見(jiàn)ると、あまりにもごたごたとした強(qiáng)い光の氾濫に、もしここをあるくのだったら、夜も光線よけの眼鏡が要るのではないかと思われる。
その昔街燈の光が朧銀色に銀座八丁をつつんで、翡翠小暗く柳が繁って、煉瓦の舗道をゆく人たちは魚(yú)に似て、明石の袂夜露にしめる、そういう銀座もかつてはあった。
今は埋められて跡もないが、三十間堀の川水くろく、木挽町へ橋を渡れば裏通のくらい小路を、男の子、女の子、ゆかたの袖をふりつらね、手に手に心ごころの燈火を提げて、盂蘭盆の歌うたいつれて行くのを見(jiàn)る。
経木づくりの提燈もあれば、瓜、茄子、西瓜などの芯を深くくりぬいて、土焼の秉燭にとうすみ入れてあかりをつけたのもある。
赤くほのぐらいこの燈の色こそは、東京人が三百年の遠(yuǎn)い昔への郷愁の色であろうか。
(『鏑木清方隨筆集』巖波文庫(kù))